次郎柿を継承していく想い

農家の長男として
多気町四神田の奥出一志さん(72)は、代々次郎柿や米を生産する農家の長男に生まれました。少年時代より家業を手伝い、農業が身近にある環境で育ちましたが、高校生の頃に防衛大学校へ進学する夢を描いたものの、両親から自宅から通学できる大学にと三重大学農学部(現:生物資源学部)へ進学。就職も通勤可能な県内企業へ入社します。「どうしても農家を継いで欲しかったのでしょうね」と語る奥出さん。父は公務員で兼業農家、自身も60歳の定年まで兼業農家として従事しました
手間のかかる作業
会社員として働き出したころ減反政策が進められ、ここ多気町でも宮川用水の整備や区画整理が進み、奥出さんの水田も3割ほど柿畑にしたそうです。これを機に稲作は担い手農家に委託し、主に次郎柿を栽培していくことになります。地域の特産品である次郎柿は年間を通して、きめ細やかな手入れが欠かせません。除草作業のほか、木の皮むき、病害虫への防除対策などに追われ、9月まで月毎に適した薬剤を散布します。近年は猛暑の影響も加わり、枝葉の剪定方法も日陰を多くするなどの工夫が求められます。収穫の時を迎え「毎年、無事に終えたという安堵感で一杯になります」。
自ら担い手となり
JA多気郡の作物別部会で最も会員数の多い柿部会。令和2年から4年間を副会長、令和6年から会長に就任し、地域の状況に目配りされています。多気町ふるさと納税品、アジア近隣諸国への輸出など次郎柿の販路拡大への可能性にも関わってこられました。その他、他府県の柿視察等の活動にも取り組む一方で「この地区でも後継者不足は深刻。廃業してしまう農家も」。作業負担が少ない低木化などの工夫だけでは追いつかず「米の担い手のような、柿の担い手の仕組みができれば良いのだが」。奥出さんは、他の農家の柿畑を7反手掛けており、自らが担い手となって全うされています。
身体の続く限り
「長男は東京におり、二人の娘は嫁いでいます。自分の代で終わってしまうのは寂しい限りですが仕方ないですね。これまで二人三脚で苦労してきた妻には感謝しかありません。次郎柿が多気町の特産品としていつまでも残せるよう、身体の続く限りあと10年は頑張りたい」と力強く語ってくださいました。そんな次郎柿に想いを寄せる奥出さんや柿部会のみなさんに、これからもJAは全力でサポートして参ります。
Photo:多気町 奥出 一志さん 2026.5








